■団体概要■
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■活動の歴史■
活動の始まり―壷阪寺常盤勝憲和尚とハンセン病患者
壷阪寺先代住職 故常盤勝憲和尚が、ハンセン病患者への支援を始めたのは、差別や偏見が残る1960年頃の日本においてでした。
ある日、勝憲和尚が自身の講演中に資料を口に持っていく方がいることに気がつきました。その方はハンセン病により視覚に障害があり、手指の感覚もなくなり、唯一感覚のわかる舌で点字で書かれた資料を読んでいました。勝憲和尚は胸を痛め、僧侶として何かできることはないのか、との想いを抱き、ハンセン病患者の里帰り(故郷には戻れないため、第二の故郷として壷阪寺に参拝)支援などを始めました。
1965年には、勝憲和尚がインドを訪問した折、アグラにてハンセン病患者の救済事業を行う日本とインドの医師、ボランティアと出会いました。当時、インドでもハンセン病の正しい理解や医療技術は発展しておらず、多くの患者が病気と社会からの偏見に苦しんでいました。このような中、日印両政府が共同で運営するハンセン病治療・研究施設「JALMA(Japanese Leprosy
Mission for Asia) 」での医師たちの献身的な奉仕活動に感銘を受け、資金、物資の支援、日本からのボランティアの派遣などで支援を開始しました。
活動の発展―インドでの支援活動の広がり
勝憲和尚がジャルマへの支援活動を続けていた1977年頃、その敷地内のガレージでインド人医師の妻たちによって無料の青空教室が開かれていました。「貧しい子どもたちほど、しっかりと教育を受けなければいけない。子どもが教育を受ければ、教育を受けられなかった親を助け、貧困と闘うことができる」という想いのもと、ハンセン病患者の子どもや近隣の貧しい子どもたちを対象にしていいました。
この青空教室は、日に日に子どもたちが増えていき、ガレージでは収まりきらなくなりました。「しっかりとした教室で、よりたくさんの子どもたちに教育の機会を与えたい」という先生たちの熱意に勝憲和尚は賛同し、すぐ近くの敷地内に「ロパ・ムドラ学校」校舎の建設を支援、その後も運営の助成を続けました。
また、インド政府の全面支援によって同じ年に南インドのカルカラにて大観音石像石彫事業を開始し、地域の雇用も生み出しました。完成後の1983年には壷阪寺にて開眼法要も行い、日本国内でのインドでの支援活動が紹介されました。
1985年には、熊本県のハンセン病施設で生活されていた方が壷阪寺の活動を知り、「インドの救ハンセン病事業のために使ってほしい」と遺産を寄託されました。その善意を生かしていけるよう、インド中部ワルダに「壷阪寺救ハンセン奉仕財団(TDKSP)」を設立し、ハンセン病患者やその家族への奨学金事業や、ハンセン病差別に苦しむ女性の入所施設などの運営を開始しました。
アジア・アフリカ国際奉仕財団の設立
1988年、勝憲長老が遷化され、そのインドでの支援活動を継続し、より発展させるため財団法人アジア・アフリカ国際奉仕財団(AIV)が設立されました。
設立後は、インドのロパ・ムドラ学校へ支援を継続するとともに、奨学金事業、現地NGO支援事業、またアフリカ東部ウガンダでは1990年からンゴビャ学校での奨学金事業を開始しました。
現在はインド5地域、ウガンダ1地域で活動を続けています。(現在(2020年)ウガンダでの活動は中止しております)
国際交流、特に、アジアの諸地域と
日本語教育の支援並びに日本で学びたいアジアの学生に対する支援にも力を入れています。また、国内の福祉施設の国際交流に対する支援事業もさせていただいています。
2020年1月より始まった新型コロナウイルス問題により、当財団の事業活動は大幅に縮小しており、関係の皆さんに多大なご迷惑をおかけしております。2020年度事業が円滑に進めるように努めてまいりますので、よろしくお願いします。
私たちは壷阪寺(奈良県)を母体とした「思いやりの心、広く、深く」という理念のもとインド・ウガンダにおいて主に教育支援、障がい者支援等を行っている団体です。加えて、日本での就労を希望するアジア地域の学生への支援も始めました。
<お問い合わせ>
(一財)アジア・アフリカ国際奉仕財団
〒635-0102
奈良県高市郡高取町壷阪3 壷阪寺内
TEL:0744-52-3172 FAX:0744-52-3835
Email:tbsk2@tsubosaka1300.or.jp